「快適」に備わった「居ごこち」のプラスαの姿をいろいろみてきました。
あなたがこのブログを見ているとき、一瞬でもあなたはそこに心地よさを持たれているはずです。そうでなければ、なにかをしているか、ここを飛び出して反乱を起こすか、 現状を打ち破るか、つぎにどうしようかと悩み、考え、方策をねっていることでしょう。
たとえ束の間であれ、そこに居る幸せを手にされているのではないでしょうか。なかなか気が付かないことですが、当たり前にしている自分に眼をやると、そのようであります。
居ごこちには不思議な面がひとつあります。居ごこちは、そこに慣れ親しんでくると、さらに変化を求めます。まったく同じ状態では飽きがやってくるのです。欲望のせいか、悲しい性(さが)なのか、変化がみられるのを望みます。
毎朝立ち寄る心地よいカフェがあるとします。毎日毎日なにかしら変化があるから、立ち寄る楽しさがあります。まったく同じ姿はないはずです。まったく同じであれが立ち寄る気になんかならないでしょう。見慣れた仲間が来るかどうかもわからない、もてなしてくれるママが今日は健康かどうかもわからない、同じコーヒーが出てくるかどうかもわからない、だれか見慣れぬ客がくるかもしれない、ちょっとした事故が起こるかもしれない、ささやかなワクワク感があるのですね。そこに居る幸せが羽を伸ばしています。そこに居る幸せはじっとしていないのです。
そこに居る幸せを英語にすると、 Happiness being there。
これを略してha-be-th(ハビス)と呼ぶことにします。