感情の大きな軸(系列)のひとつが、「快適」であることがわかってきました。
その「快適」と「居ごこち」の関係を考えてみましょう。
ここでの「居ごこち」論では「快適」と「居ごこち」とをはっきり区別しています。
というのは、まず、「居ごこち」は「快適」の兄弟、というよりもむしろ子供なのです。
いま考えられる「居ごこち」はずっと「快適」として考えられきた歴史があります。
「居ごこち」を空間の心地として考えるならば、それをそのように独立して考えるのようになったのは非常に新しいことでした。
人間が新しいものを生み出し、歴史を前に進めてきた裏には、常に「快適」性を追い求めてきた原動力があったのでした。文明を築く押し出す力でした。
たとえば、農業のような労働の現場もしかり、移動手段の発展もしかり、通信技術の発達もしかり、身にまとうものの変化、住みつく方法を探るなど、などなど、、あげればきりがありません、みんなより「快適」にと進めてきました。