「居ごこち」=「快適」+α
でした。さて、「快適」がわかったところで、α とはなんでしょう。
快適の条件がそろったところで、「居ごこち」になるには、物語(ストーリー)が必要なのです。物語(ストーリー)は「快適」ができるための台本、シナリオです。それはドラマであり、言葉でできています。すでにみてきたように、例えばいつまでも余韻がともなう感情、長いこと過ごして心地よかった乗り物の状態、はシナリオになります。
シナリオになるものはどんなものがあるでしょうか。あげてみましょう。 ①、人間関係ーー縁、血縁、夫婦、社縁、上司、クライアント、取引先、
②、戦いーー人と人の戦い、人と自然との闘い、人と悪との闘い、、など
③、時の問題--季節、時期のこと、タイミングー
④、美にまつわることーー清らかさの尊重、飾ること、カモフラージュ
⑤、生活の余白--余裕のある行動、遊び、
⑥、場所・空間のありかたーーここという場所、そこに居るありがたさ、
⑦、「快適」から逃れたいと思うことーー人間が追い求めてきた「快適」さから自由になりた
い、という思い
があげられます。
シナリオになるストーリーはこれらが噛み合って、つなぎ合わせてつくられます。
たとえば、文学で、割と早い時期に「居ごこち」が取り上げられたのは、嫁と姑の苦しい対決でした(田山花袋の小説『生』ー明治41年~1908年にみられる)。
都会で育った若い嫁が、嫁ぎ先の田舎では、旦那の不在中に、姑と四六時中向き合わなければなりませんでした。一種の戦いの人間関係です。好きな人と一緒になっても、旦那は働くために都会に残り、嫁は旦那の実家に住むことになり、姑と毎日角つき合わさなければならなくなっている。描かれているのは、いわば負の居ごこちのようなものでしたが。これは今では当たり前に映るかもしれませんが、本来はここにも前向きの居ごこちもあったはずです。
嫁と姑の関係にしても、無理やりよ良い居ごこちとなるストーリーもあるはずなのですが、そうではないところを描くことが新しかったのかもしれません。
これには、人間関係①と、都会を離れた場所②と、時の問題(タイミング)③と、が重ね合わされています。