「居ごこち」と「快適」(3)

    たしかに、私たちは日頃、「居ごこち」と「快適」を使い分けたくなります。

どちらも、はっきりしたものではないので、{「居ごこち」のようなもの}{「快適」のようなもの}といたほうがいいのかもしれません。すでにみたように、長くひきずる余韻のある感情や、長い時間で感じられる気持ち、などは快適だとすますわけにはいかない場合があります。

そこで、どうしても「居ごこち」としかいえない。どこが違ってくるのか、と考えてみよう。

    「居ごこち」=「快適」+α

とという式が浮かんでくる。「快適」のもつものをそなえながら、さらに新たなものが加わってくるのです。

まず、「快適」をつかまえておかなきゃならない。「快適」の個人的な定義は種々あるのですが、、

建築分野の快適性の分類として、(「快適性研究の現状と考察~森田健・宮崎良文ー「人間と環境」19巻2号・1993年)がある。「環境の評価段階に応じる快適性の心理状態として、1)明るさや暖かさなどの環境の正常と比較的直接に結び付く感覚レベルの快適さ、2)解放感や働きやすさなど複合的判断によって生じる知覚レベルの快適さ、3)居心地や安らぎなど心的総合によって生じる、認知レベルの快適性、があげられるとしている。

これがまず代表例です。感覚と、知覚と、認知レベルの三つの快適性があるといわれます。

   さらに、祭りや芸術で得られる快楽、そして、破滅的な快楽のようなドラッグによる興奮状態にまで目を向けるという提案もあります。

(「快適性の構造に関する研究」~坊垣和明・瀬尾文彰ー日本建築学会大会学術講演梗概集(東海)1994年9月)

これらはだいぶ古いものになってしまいますが、このころ(1993,4年ごろ)は空間系の各分野で快適についての論考がはなやかでした。

こうして見てくると、このころ、まだ「居ごこち」概念がまだ注目されてはいない時代でしたので、快適論のなかで「居ごこち」が重なってふれられているに過ぎなかったのでした。

    さて、   「居ごこち」=「快適」+α   ですが、

どのレベルであっても、「快適」になにかが加わったものが「居ごこち」といえるのです。

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