では、「居ごこち」と「快適」にはどんな違いがあるのでしょう。
たとえば、二人の青年が、自分たちの恩師の家に招かれて、恩師の持てなしを受けたとしましょう。二人は帰り道に「とても居ごこちがよかったね」と言い合いながら帰ったとします。、ここにはそのおもてなしのすべて、部屋の雰囲気からはじまって、全体の空気、出されたもの、お菓子屋お茶やその食器、あるいは恩師の接し方、言葉や声の調子、場合によっては奥方の仕種のいくつか、また、明かりや光の状態など。二人には、その心地よさがながく余韻がのこります。
あるいは、新幹線や飛行機などの長旅を振り返って、「とても居ごこちがよかった」と思うとき、それは「快適だった」というのとは違うニュアンスをふくんでいる場合があるものです。少し長く座って過ごした、座り心地を思いだしたりします。周りの人の雰囲気、空気、明かり、座席の座り心地、乗務員の客あしらい、インテリアデザイン、などは大いに役立っていることでしょう。
さらに、瞬間的に感じる快適さには、たとえば、「心地いいトイレ」といったりしますね。しかし、過ごし方によっては、トイレは「居ごこちのいい」空間にもなります。そこで、瞑想、勉強、読書もする空間になります。
このように、「居ごこち」は「快適」とは別物に感じとられるものです。