「いごこち(居心地)よさ」には階段と私が呼ぶものがあります。
人は欲望にまかせていると、さらに上へ上へと、まるで階段を上るかの
ようにあがっていこうとします。
あるいは、欲望というよりは、現状の居心地よさに飽きてきて脱出したいと
思うこともあります。
人は今のままでいようとするなら、それはそれほど「いごこち(居心地)」が
悪くないことを表しています。悪かったらきっと何かの行動を、場合によっては
かなり破壊的な行動にまででることでしょう。
「居心地」の良いであろう状態を日頃から目標にしているのなら、日々そこに向かって
いる行動に明け暮れしているでしょう。でも人はどんなに想像しても、その「居心地よさ」を
想像することはできません。「居心地」はうけるものだからです。
そこにあって、出会って体験してはじめてわかります。
そこで、あらたな居心地の発見であったり、居心地の良い状態を創造したりできて
きます。
どうやら、まるで階段を上るかのように、つぎから、つぎへと居心地wのよさを
おいかけるのが人間なのかもしれない、と思ってしまうこともあります。
たとえば、勉強している生活を続けてると、海外にでて学びたい、留学してもっと
居心地よく勉強生活をしたいと考える。それが実現すると、もっと厳しい勉強環境
を求めていく、たとえば、もっと見聞をひろめようと世界をめぐる勉強に、
というふうに、、。