こんにちは!
「いごこち」の安原です☆彡★
梅雨も明けて、暑い夏がやってきました。
暑い夏に出会うと、汗だくになりながら、ピアノを弾いていたのが
よみがえります。
そのころ、音楽の道を目指すわけもでなく、音楽関係の仕事に
つこうとと思うこともなく、ひたすら、ベートーベンのソナタと
格闘していました。
格闘というよりは、楽しみながらメロディーに酔って、結構きつい
練習に励んでいたものです。幸せな時間でした。
夏の暑さと「悲愴」や「熱情」や「月光」などのフレーズが重なり
会います。それが、現れます。
++(以下facebookからの続き)++
今では大きな「市」となりましたが、もちろん戦後、当時は南多摩郡
といういかにも東京のはずれの、丘の一角でした。
引っ越してきた一家四人は、やっと手にした、7坪半のトントン葺き
のあばら屋で、電気、ガス、水道、下水道はなく、林の中の一軒家で、
井戸を頼りに生活することから始まりました。
真ん中の八畳ひと間に、四人が川の字になって寝ていて、朝、雨戸か
ら通る節穴や継ぎ目から漏れてくる朝陽が包んでいました。
家具はまったくなく、ただちょっと古めのピアノだけがありました。
母が子供のころから親しんでいたそれを、生涯肌身離さず、持ち続け
ていくものでした。
甲斐性のない父だったからかもしれませんが、金銭も物質もほとんど
ない貧しい暮らしでした。
頼りになるものがピアノしかなくて、近所の先生に無理やり連れてい
かれて、ピアノを習う真似事をはじめました。
が、周りは女の子ばかりで、気おくれもしたこともあり習いに行くこ
とがずっと好きになれませんでした。
ところがある時、その中で一番熱心にやっていた上手な女の子と話を
するようになり、ピアノの練習の競争のようなことがはじまりました。
以来、この抽象的な楽器がすっかり好きになり、連弾や、二台のピア
ノで遊ぶ、ピアノの音楽の楽しさにふけるようになりました。
その時以来、僕の趣味はピアノを弾くことになりました。
こんな図体の大きい楽器を相手にするなんて、いい趣味かどうかわか
りません。
しかし、あの夏のピアノとともにあった居心地のいい生活はひょっと
したら今の原点になっているかもしれません。
ここで思うのは、その時の「いごこち」の良さは、それを成り立たせ
ている生活の支えなど関係なくあった、ということなのですね。
いや、それがあったから、それを不問にして過ごしていられたという
こともできるのかもしれません。